無の境地に達したくば・・・
2004年11月10日修行よりも、小難しい本を「絶対読んで覚えなければならない」
といって渡されたほうが近道かもしれない。
方法は簡単だ「ああ、やらなきゃやらなきゃ」とおもいながら
小難しい本を開く。そして必死に読もうとする。
ここがポイントなのは、読んではいけない(をい)
壮絶につまんなくて、よもうよもうとおもっても
全然頭にはいらないという状況に陥らなければならないからだ。
ようするに、読む本はつまらなくて、やたらと小難しく
まわりくどいいいまわしの本であるほど理想的だ。
そして万が一にでも面白くてはいけない。
むずかしいけれどおもしろいよーなんていう本ではいけないのだ。
くそおもしろくない本をおぼえようおぼえようと
おもってみるとき、人の脳は拒否反応をおこし、
その瞬間一瞬意識がとぎれそうになるのだ。
そう、その瞬間、ひとの頭の中はからっぽになる!!
完全なる無に達するのだ!!!!!!
そういうわけでわたくしに小難しい本や
純文の暗いのとか読ませようとすると
簡単に無の境地の達してしまうので
気をつけるように・・・。
無の境地に達してみたい貴方!!
わたくしなんぞ場合によっては5分に一度は
無の境地にたっしているぞ!!
うらやましくないだろう!!??
断っておくが寝てはいけない寝ては。
それで何もかんがえていないから無だなんといっても
それはたんなる熟睡ですからーーーー。
しかし、あれだ。もしかしたらお経というのも
同じ効果をねらってよみあげるのかもしれない。
朦朧とした意識と機械的な作業のくりかえしによる
刹那の意識の空白。無とは意外とそういうものでは???
いや、すんません。もしかしたら違うのかも。
でも何も考えていないからっぽの状態を
いきながらにして結構簡単につくりだすことが
できるといいたかったのですよ。ほほほほほ。
といって渡されたほうが近道かもしれない。
方法は簡単だ「ああ、やらなきゃやらなきゃ」とおもいながら
小難しい本を開く。そして必死に読もうとする。
ここがポイントなのは、読んではいけない(をい)
壮絶につまんなくて、よもうよもうとおもっても
全然頭にはいらないという状況に陥らなければならないからだ。
ようするに、読む本はつまらなくて、やたらと小難しく
まわりくどいいいまわしの本であるほど理想的だ。
そして万が一にでも面白くてはいけない。
むずかしいけれどおもしろいよーなんていう本ではいけないのだ。
くそおもしろくない本をおぼえようおぼえようと
おもってみるとき、人の脳は拒否反応をおこし、
その瞬間一瞬意識がとぎれそうになるのだ。
そう、その瞬間、ひとの頭の中はからっぽになる!!
完全なる無に達するのだ!!!!!!
そういうわけでわたくしに小難しい本や
純文の暗いのとか読ませようとすると
簡単に無の境地の達してしまうので
気をつけるように・・・。
無の境地に達してみたい貴方!!
わたくしなんぞ場合によっては5分に一度は
無の境地にたっしているぞ!!
うらやましくないだろう!!??
断っておくが寝てはいけない寝ては。
それで何もかんがえていないから無だなんといっても
それはたんなる熟睡ですからーーーー。
しかし、あれだ。もしかしたらお経というのも
同じ効果をねらってよみあげるのかもしれない。
朦朧とした意識と機械的な作業のくりかえしによる
刹那の意識の空白。無とは意外とそういうものでは???
いや、すんません。もしかしたら違うのかも。
でも何も考えていないからっぽの状態を
いきながらにして結構簡単につくりだすことが
できるといいたかったのですよ。ほほほほほ。
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